天気がいいので磐梯町の史跡慧日寺跡 に写真を撮りに行ってきました。磐梯町ホームページより引用仁王門この仁王門は当初どの場所にあったのかわかりませんが、江戸時代後期に慧日寺の仁王門として建立されたと考えられます。明治5年(1872)に薬師堂と鐘楼が焼失した際に難をまぬがれ、現在までに三たび移築されました。通路の左右の土間には平らな石を据え、江戸時代中期作の仁王像を安置しています。
昭和45年(1970)に修理が行われた時、柱の足元を切り縮めたため、全体の高さなど当初の状況は明らかではありません。しかし仁王門として比較的平面規模が大きく、木柄が太い独特の特徴を持っていることから、近世の慧日寺を解明する重要な建造物となっています。


仁王門
薬師堂慧日寺の本尊でもあった薬師如来は、会津五薬師のひとつである「東方薬師」として親しまれてきました。慧日寺は中世以降、薬師信仰に基づき治病延命、産育、子孫繁栄を祈願する庶民信仰の寺としても栄えました。
薬師堂は、明治初めの廃寺後に磐梯神社の仮殿として用いられたこともありましたが、明治5年に火災に遭い焼失してしまいました。しかし、地元住民の薬師堂再建へ向けた切なる願いにより、明治32年に桁行、梁間とも三間の寄棟造りで再建されました。
慧日寺を創建した徳一が、薬師信仰を主体として会津地方に仏教を広めたことや、その後も会津五薬師のひとつとして篤い信仰を集めたことなど、慧日寺の歴史を伝える重要な建築物でもあります。
鶴ヶ城定点写真
南西側より撮影

東側より撮影

南東側より撮影

南側より撮影

西側より撮影
本日のニャー