山鹿素行(やまがそこう)
元和8年〜貞享2年(1622〜1685)
兵学者、儒学者。陸奥国会津(福島県会津若松市)に生まれる。素行(本名は高祐)は6歳の時に父と共に江戸へ出て、9才で林羅山の門下に入った。素行は武人として実践的な孔子の教え(聖学)の原点に帰ることを主張し、武士道を政治哲学まで高めた(山鹿流兵法)。31才の時に赤穂藩に仕え、後江戸で「聖教要録」を出版。時の執権会津藩主保科正之は、朱子学批判の罪で素行を赤穂浅野家に配流した。延宝3年(1675)許されて江戸へ帰る。
墓所は東京都新宿区の宗参寺。
素行の教えは武士社会に大きな影響をあたえた。忠臣蔵の大石内蔵助ら赤穂藩士、幕末の吉田松陰も山鹿流を学んでいる。
主著=『聖教要録』、『中朝事実』、『配所残筆』、『山鹿語録』。
写真上でクリックすると拡大します。
山鹿素行誕生の地 碑
山鹿素行誕生の地 説明
鶴ヶ城定点写真
南西側より撮影
東側より撮影
南東側より撮影
南側より撮影
西側より撮影
本日のニャー


